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ムクノモリのこと

ムクのこと

3人兄弟の末っ子に生まれ、父母と祖母のあふれんばかりの愛情を浴びながら、横浜の、割と自然の多いところで、虫捕りや川遊びなどをして育ち、高校・大学を出て、東京で会社員をしていた。

その会社では、いろんな経験をして、いろんなひとと出会い、のちに結婚するひととも仲良くなり、仕事も忙しく、楽しかった。楽しかったけれど、ちょうど会社が不況のあおりを受け、先を見つめなおすタイミングがきた。

そんな時、結婚することとなったひとの実家から送られてきたりんごが、とても、とても、とびきりおいしくて感動した。

そして、結婚してしばらくしてから、その実家のある長野県上田市に引っ越すことになった。

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上田のこと

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長野県上田市とはどんなところだろう。
山と、雪と、スキー場と、避暑地と、信州そばと、りんごなんだろうか。

上田盆地の真ん中には、日本海へ向かって、千曲川がながれている。
育った横浜の川はみんな太平洋へ流れるので、北へ向かう川を見ると、初めはなんだかムズムズした。

千曲川の右岸は、戦国一の兵(つわもの)と呼ばれた真田氏の上田城を中心とした城下町があったところ。
左岸の塩田平は、鎌倉時代の執権北条氏の一族、塩田北条氏の所領であったところで、今では信州の鎌倉と呼ばれている。
真田幸村は、昔から割と好きだった。

上田盆地は、年間平均気温が約12℃、
最近の年間最高気温は36℃くらいで、最低気温は-10℃くらい。
昼と夜、夏と冬の寒暖の差がとても大きい。
また晴天率が高く、年間の平均降水量が約900mmと、全国でも有数の雨が少ない地域で、雪も、たまにしか積もらない。
そんな雨の少ない地域ではあるものの、千曲川とその支流の豊かな水や、農業用のため池などのおかげで、深刻な水不足は少ない。

あちこちに温泉があることも、とてもうれしい。

ムクノモリのこれから

ムクノモリのこれから

ムクノモリのこれから

ムクノモリのこれから

ムクノモリのこれから

ムクノモリのこれから

晴れの日が多く、日照時間が長く、雨が少なく、寒暖の差が大きく、山からの水源は豊富・・・とくれば、りんごやぶどうのくだもの栽培にこれほど適した地はない。
上田でしかできないことを、やろうと決めた。
悩んだわけではなく、きっと大変だろうとは分かっていたものの、すとんと決まった(自分の中では)。

結婚したひとの実家は兼業農家で、昔は大きな、今ではちいさなりんご畑があった。
そのちいさな畑でとれるりんごは、今までに味わったことのない、みずみずしく、解放感たっぷりの、濃くておいしいりんごだった。
そのまわりには、大小さまざまな山がたくさんあり、後継者のいないくだもの畑がたくさんあった。
こんなに、ぶどうもりんごも、毎年けなげに花を咲かせ、葉を茂らせ、実をつけているのに、育てる人たちがいなくなるなんて。
その畑がもったいない。
この産地がもったいない。

一から畑をつくるということは、膨大な時間と費用と手間がかかる。
それが、脱サラ農業の一番むずかしいところ。

この地域では、今まで率先して新技術を取り入れ、新品種を栽培していた方々が高齢となり、畑の維持がむずかしくなっている。
後継者がおらず、大きなぶどうの木やりんごの木を、心を痛めながら切ってしまう方々もたくさんいた。
そんな中、運よくご縁をいただいて、いくつかのぶどう畑とりんご畑を、引き継がせていただくこととなった。
これほど、ありがたいことはない。

上田のぶどうとりんごは、全国的には、まだまだ知名度が高いわけではない。
それでも、こんなにおいしいのだから、もっとたくさんのひとに食べてもらいたい。
だからまずは、引き継いでいこう。

とは言っても、後継者がいなくなりつつある畑は荒れはじめ、病気も出やすく、害虫もとても多い。
だから、今は最低限の慣行防除(農薬散布)はするけれど、畑が元気になってくれば、可能な限り、自然に近い状態で育てていきたい。
土をつくり、草を刈り、水をやって、木々の自然な声をきき、天気と上手につきあいながら、畑を守っていこう。
上田という産地を守っていこう。